尾の内渓谷
- オノウチ ケイコク -
(2002年10月)
尾の内渓谷(尾の内沢)は、秩父郡小鹿野町河原沢にある景勝地です。

今回は、台風の翌日に訪れました。

マイカーでのアクセスには、河原沢を縦断する幹線から、龍頭神社わきの枝道へ入っていきます。

右の駐車場へ出られれば正解。

車で乗り込めるのはここまで。

ここからは徒歩で、アプローチします。
ちなみにこの駐車場の片隅には、滾々と湧き出る水場があります。

残念ながら、この水は飲用ではないとのこと。

この日は台風の翌日だったためか、勢いよく流れていました。


右のような杉林の道が入り口です。

「さあ、冒険の始まりだワン!」…と犬が言いたかったかどうか、定かではありませんが。
杉林はすぐに終わり、真新しい丸木橋が見えてきます。

今の橋がかかる前は、ここはどうなっていたのでしょうか。
この吊り橋はワイヤーがふんだんに使ってあり、先日の台風くらいではビクともしなかったようです。

床板は最低限しか張っていないようで、高所恐怖症の方なら目も眩むような境地を味わえることでしょう。

わが犬は鈍感らしく、何も考えないで橋をさっさと渡って行きました。
橋から見下ろすと左のような感じです。

はるか眼下に渓谷が見渡せます。

ちょうどこの辺にはいくつかの滝があり、眺望は最高です。

高い橋ができると、すぐに飛び降り自殺を図る人が現れたものですが、ここではそういうことは止めてほしいなあ。
橋を越えると、しゃれた造りの階段があります。

ここを登ると、本格的なトレイルの開始です。
台風の翌日の山道は、すべてが洗い流されていて新鮮な雰囲気がします。

おまけに天気もよかったので、日差しの中で落ち葉も苔も、輝くような光彩を放っていました。
山道は、沢沿いに続いていきます。

見下ろすと清冽な谷水が目を楽しませてくれます。
岩場がかなり多く、幾つもの滝を見つけることができます。

この日、もう少し下流の川になると、増水して泥色の濁流になっていたのですが、ここの清流はまったく濁っていません。
むしろ水量が普段より増しているらしく、ドウドウと流れる水が迫力でした。

水が激しく流れるところでは、マイナスイオンが発生する(レナード効果)ので爽快な気分になる、とのことですが本当でしょうか。

流れる水を眺めているだけでも、気分が向上することは確かですが。
途中、面白い橋がありました。

川の中にある岩を使って、二本の異なる造りの橋が渡してあります。

巨大でシンプルな構造を追求するのが現代建築技術の特徴ですが、人間には複雑で変化に富んだものを好む一面もあります。

少なくとも、トレイルは変化があればあるほど楽しいものです。

また、そういった変化を「ランドマーク」として、記憶にインプットしていくのが、人間の本能なのだそうです。
この日は、ついに魚影を見ることができませんでした。

秩父の渓流なら、ヤマメ・アマゴ・イワナがお馴染みの顔ですが、暴風雨に流されてしまったのでしょうか。

それとも、普段はそんなに水量のない沢なのかもしれません。

魚影だけでなく、リスや野ウサギなどの小動物の姿もありませんでした。

人間のように、のんきに散歩しているどころではないのかもしれません。
秩父あたりの沢は、夏場は水量が豊富なのですが、降雨量の少ない冬になると、非常に水量が減ってきます。

この尾の内沢については冬場に来たことはないので、どうなのかは分かりませんが、もしこの谷水が枯渇しそうなほどに少なくなったら、さびしい風景になることでしょう。
山道はところどころ土砂で埋没しているので、樹木に結わえつけられたピンクのリボンを目印に、道を探り当てながら進んでいきます。

こういった道では、4本足を持つ犬の走破性が際立ちます。

犬が本気で走り出したら、人間の足では絶対に追いつけません。

それにしても、このトレイルはどこまで続くのか…。

ところが、この先、あっと驚く結末が待っていたのです!
…なんと、橋が流されていました。

前日の台風の仕業でしょうか。

飛び越えて渡りたくても、この水量ではやや危険が予想されます。

自然の中では、危険は用心深く避けることが鉄則。

自分だけでなく、他人にも多大な迷惑をかけることになりかねません。

この日は、ここで引き返すことにしました。
同じ道を辿って帰ったので、また丸木橋を渡りました。

やはり、この橋からの眺望がもっとも見ごたえがあります。

もう数週間後に来れば、きっとすばらしい紅葉がみられるのではないでしょうか。
駐車場の片隅に、看板がありました。

道もよく整備されていて、かといって手を加えすぎでもなく、良いトレイルだったという印象があります。

観光客があまりたくさん来るようになると、大自然の静寂が破られ、ゴミやヒューマン・インパクトで環境が荒れてしまいます。

逆に観光客が来なければ、公園はさびれてしまい、管理の手も及ばなくなってしまいます。


このあたりのバランスは、難しいものです。

「里山」の在り方が脚光を浴びたことがありましたが、一度人の手が入った自然を、どう維持していくか。

現代では、なまじ自然と向き合わなくても生きていけるライフスタイルが増えているだけに、この問題は意識していかなければ素通りしかねないでしょう。